モルヒネについて

2020年1月28日

私は「がん」という病気を診療する機会が多く、その一環として「モルヒネ」を処方することがあります。本人、家族に十分、「モルヒネ」について説明してから処方するようにしています。その時感じることは、モルヒネに対する誤った知識を持っている人が少なくないということです。これは、患者さんだけの問題ではなく、医療従事者にもいえることです。「がん」がわが国の死因の一位である現在、それに関連した「モルヒネ」に対する正確な知識を持つことはきわめて重要であると思われましたので、今回は最新の話題ではありませんが、「モルヒネ」について書いてみることにしました。

わが国では、国民の3~4人に1人ががんで亡くなる時代となりました。1986年に世界保健機構(WHO)は"Cancer Pain Relief:がんの痛みからの解放"という報告書を発表しました。その報告書の主要論点は以下の3つです。

(1)がんは進むにつれて痛みを訴えることが多くなり、末期患者の約70%の人の主症状は痛みである。

(2)痛みの大多数がモルヒネをはじめとする鎮痛薬が効く痛みである。

(3)これらの痛みのうち非あへん系(非オピオイド)鎮痛薬が効くものは20%程度と少なく、50%はかなり強い痛みであり、30%は耐え難いほどの強い痛みであり、これらの強い痛みに対してはあへん系(オピオイド)鎮痛薬が必要である。

そして、痛みの程度に応じて、非オピオイドのものからオピオイドのものへと鎮痛薬を選んでいく『WHO方式がん疼痛治療法』を提唱しました。また、1993年には、「WHOが、看護師、薬剤師、医師といった医療従事者、保健担当行政官および一般大衆に対して教育し、患者が正当な医療上の必要性から適当な治療が受けられるよう疼痛緩和のためオピオイド鎮痛薬麻薬の適切な使用を促進することを勧告する。・・・・しかし依然として世界の多くの地域で医療関係者が適当な量のオピオイド鎮痛薬を処方することに積極的でないために不必要な痛みに苦しみ続けている。・・・・」と述べています。がんに罹っても痛みに苦しむことがないとしたら、どんなに不安と苦しみから解放されることでしょう。この痛みに長い間耐えても患者にとって何の利点もありません。生命の質(Quality Of Life:QOL)の向上のためにもがんの疼痛が和らげられることは患者にとって極めて大きな意味を持つ治療であるということを、医療関係者はしっかり認識する必要があります。がん疼痛治療法は既に確立されており、患者は疼痛を和らげてもらうことを求める権利があるのです。この事実を患者、家族とともに、医師、薬剤師、看護師といった医療従事者はしっかりと頭に置かなければなりません。

『WHO方式がん疼痛治療法』は、いまでは多くの国で標準的治療法として採用されています。これに従って鎮痛薬を使って治療すれば、90%以上の患者さんの痛みを解決することが実証されています。しかし、残念ながら日本の臨床の全体的な水準はそこまで至っていません。オピオイド鎮痛薬のなかで最も有名なものがモルヒネです。モルヒネはがん疼痛治療において重要な役割を持つ医薬品で、わが国のモルヒネ消費量は近年増加傾向にありますが、世界的にみるとその伸び率は緩やかであり、使用量もカナダ、イギリスの1/9程度です。わが国の医療モルヒネの使用量は、他の先進諸国に比べるときわめて少ないのはどうしてでしょうか?

(1)一般の患者、家族のみならず医師、看護師といった医療関係者の間でも、モルヒネを使うとすぐに麻薬中毒になってしまうのではないかといった偏見や誤解が見受けられます。日本では昭和30年代にはヘロインや医療用のモルヒネ注射液の乱用で中毒事件もしばしば見られたことが多くの人の記憶にあり、「麻薬」という名前のイメージが悪いのではないかと考えます。

(2)現在のようなモルヒネ徐放錠(持続的に少しずつ体に入っていく製品)がなかった時代には、モルヒネの投与量や投与方法のコントロールが難しく、そのため、モルヒネを使うのはいよいよ最期のときで、使ったら意識がなくなったり、もう話ができなくなる、つまり、モルヒネは末期に使う薬であるといった認識を持った医師も比較的多くいたと思われます(今でもそう考えている医師もいます)。現在ではモルヒネを服用しながら日常生活・仕事を行っている患者やモルヒネを持って海外旅行へ出かけるがん患者も少なくありません。

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(3)医学部においてはがん疼痛緩和に関する教育はあまり行われていません。『WHO方式がん疼痛治療法』を認識していない医療関係者も多くいますし、モルヒネを2週間以上使うと麻薬中毒(身体依存性・精神依存性)になると誤解している医療関係者もいます。実際、私が医師になった当時(昭和50年代)は、モルヒネを2週間継続して処方したら、麻薬中毒者診断届を出すように上司の先生から指導されました。今考えると全くおかしなことです。がん疼痛緩和のためにモルヒネを正当に使用した場合は、麻薬中毒を心配しなくて良いことはすでに明確になっています。医学部の教育においてもこのような状況ですから、モルヒネに対する誤解は、医療関係者だけでなく患者や家族にも見られるのは当然です。モルヒネは麻薬であるために、これを使うと生命が危うくなるのではないかとか、麻薬中毒になってしまうのではないかとか、また反対に、モルヒネを使うことによって安楽死ができるようになるのではないかといったことを言われる患者や家族に遭遇することは少なくありません。

がんに対する恐れは、がんは治すことが難しい病気であるということとともに、病気の進行によっては痛みが増し、苦痛のなかで人生の最期を迎えなければならないという不安な状態に思いがいくことにあるといえるでしょう。がんの疼痛緩和治療が進んできてモルヒネをはじめとする有効な治療法が確立されてきたことを医療関係者は十分理解し、モルヒネの適正使用が実践されれば、がん患者および家族が納得できる生活を送ることができるようになると思われ、そのために医療関係者へのモルヒネに関する教育・啓発が重要であると思われます。